主客一如 禅と茶 無からの発想

近藤道生尾関宗園、尾関紹保著/金融財政事情研究会/1995年。

禅茶録以来、禅と茶を結びつけた書物はあまた出ているわけですが、これは有る意味その極北かもしれません。

そもそもタイトルがアレでして、 禅茶録なら「無賓主の茶」とか言うところです。主客一如なんて判りやすそうな言葉にした段階でいかにもなビジネス書ですが、だからこそ得られる平易なナニカがあるといいな、と思って読んでみました。

内容:
講話1 ビジネスに生かす茶の湯の心 近藤道生(博報堂代表)
講話2 喝!たるんでいるのは君だけだ! 尾関宗園(大徳寺 大仙院住職)
講話3 人生を飲み下す茶のこころえ 尾関紹保(石州流家元 慈光院住職)

ん〜、なんか駄目そう?


基本的に3人の著者が別々に禅の話や茶の話を書いたものなんですよね。

しかも禅と茶と主客一如、というテーマで書いた人は一人もいません。本としての統一性は非常に弱い。まぁこんなもんでしょう、ビジネス書なんて。

講話1と講話3はつまんなかったのでばっさりオミットね。

講話2は意外な面白さ。

もう一つの赤ちゃんのすごいところは、それが当然のように、自分の足の指でもなんでもみんな自分の口に咥えることができることです。
それが、どうでしょう、いま「足の指を咥えろ」と言われてできる人が何人いますか。

おお、なんかなかなか平易に説いてくれているぞ。

この頃はセールス・プロモーションの場でも、やれユーザに対するサービスだ、

あれ?坊さんがビジネスを説き出したぞ?

ピーター・F・ドラッガーというアメリカのクレアモント大学の経済学者も、はっきり言っています。

ドラッガーかよ!

でもドラッガー流行り出したので2000年くらいだったと思うので、95年あたりは早いんじゃね?

禅僧の語るビジネス論とかはじめて読んだよ。空気読みすぎだよ。なんか違う意味ですんごい面白かった。
為になったかというと、ううむですけど。