随筆 茶

柳宗悦、古田紹欽他/春秋社/1957年。

この二人が音頭を取ったであろうエッセイ集。

当然、割と批判的な内容。でも玉石混淆…というか、正直、小林逸翁の文章以外は見るべき物はない。

でも、逸翁は凄いぜ。かっとばしてます。

「私が若しお茶の家元であつたならば」では、財団法人化した三千家を皮肉って、家元も公選制にすればいいとかチクチクである。


でも自己への目も忘れない。

「鵬程万里茶会(鼎談)」では、逸翁得意の舶来品道具組が田舎で受けなかったのを仮想対談形式で自己批判/自己弁護。

さういふことではなしに、地方だって中々鑑賞眼の進んでいるところもあるのです。ただ、今の場合は、所謂名品茶会を期待してゐるところへ舶来茶会では、これは期待外れだつたでせう。

逸翁美術館で感じる微妙な気分って、逸翁現役時代でもやっぱあって、本人も判ってて無理を通してたんだなぁ。


そして白眉は「『茶境』問答」である。

外人には判らない、茶人でない人には判らない、という茶の美について、非常に素晴らしい意見を開陳している。

或はさうかも知れない。が、しかし苔むす石燈籠に、筧の音のさややくつくばひの静けさ、一枝の花、松風の音、この心持は外国人には判らないかもしれないとしても、「これがわからないとはかあいそうだ」といふ風に、お茶の境地そのものが、絶対的優位にあるものと自惚れてはイケナイ。

いろんな美意識があってよくて、差はイコール優劣ではない。自分の美意識を絶対視するな、という戒めは、自戎せんとな、と思うぜ。

茶―随筆 (1957年)

茶―随筆 (1957年)