合理

お茶の点前は、単なる礼式の様でも、それぞれ意味が在って、実は合理的なもんなんですよ、と門外の人に言ったりしませんか?

でもそれって本当かな?

例えば裏千家風炉薄茶平点前の場合、

  1. 茶を茶碗に入れ、茶杓は棗の上に置く。
  2. 水指の蓋を取る
  3. 柄杓で湯を汲み、茶碗に入れる。
  4. 茶筅で茶を点てて、客に出す。
  5. 客から返って来た茶碗に湯を汲み入れ、洗う。
  6. 末客までお茶を出し、しまいの挨拶を受ける
  7. 柄杓で水を汲み、茶碗に入れて茶筅通しする。

という途中の手順がある。

幾ら考えても、序盤で使いもしない水指の蓋を取る理由が判らない。
最後の所で水指の蓋を取っても全然困らないと思うのだ。

ちなみに「裏千家茶の湯」では約束だから、で済ましている。

ちょっとした事なんだけど、約束で行なう行為ってのは合理的だから行なう行為ではない。

別に裏千家をやり玉に挙げたいわけでなく、こういう意味の説明しづらい手順って、きっとどこの流派にもあると思うんだよ。俺は自流派の勉強が足りなくて、自流派で言えないだけで。

とりあえず説明のつかない事がある以上、茶道の点前は合理的である、と言い張るのは俺には難しいな、という事がいいたいだけ。