實業之日本 昭和十二年 一月十五日号

古本屋でたまたま見掛け購入。
戦前の近代数寄者に関して、なんか載っているかな?と思ってね。

まず巻頭グラビア部分に「名士の御庭拝見その二」というコーナーがあり、南禅寺の稲畑勝太郎所有の和楽園と、野村徳七氏所有の碧雲荘が写真付きで紹介。

和楽園は、野村美術館行く途中右側にある印象的なお屋敷で、後に何有荘と名称が替わり、いろいろ数奇な運命にあった。いや、いまだあっている、というべきか。

風景は50年前と現在で全然、変わってない。

昔のサラリーマンも、「いずれ俺もこんなお屋敷に!」みたいな事を思っていたかと思うと感慨深い。

笑い話のコーナーにて、以下の様なのがあった。

青山南町の根津邸といふのはすばらしく大きなもので、外來客が一寸迷ひ込んだらなか/\人里(?)へは出られぬ位に、深い/\林だ。
そこで、邸内到るところに「右何々、左何々」と風流以上に實用を兼ねた道しるべが立つてゐるほどである。
その道しるべの導く奥の奥に、いつ、どこから移されたとも判らぬものだが、
「やせ蛙まけるな一茶こヽにあり」
といつた一茶の有名な句碑が建つて居る。俳句なんぞテンデ解しそうにもない根津氏が、これを又非常に愛好して、そこを通るたびに復誦して「やせ蛙まけるな……」とやる。
その態度が如何にも熱心で、如何にも滑稽ぢみて居るので、その後からついて行く
口のわるいのが、「何だ……やせ一茶まけるな根津嘉こヽにあり……か」

オチは全然おもしろくないが、当時も根津美術館の雰囲気と、大茶人根津青山が俳句なんか解しそうもない人物と思われていた、という事が面白い。

こういう事は同時代資料ひっぱらんとわからんからね。


さて昭和十二年。

戦前のこの雑誌、投資に利殖、サラリーマンジョークに経営哲学等など、現代のビジネス雑誌と全然、変わらない。違和感なく読める。

……「準戦時予算」の記事以外は。


この年に泥沼の対中国戦が開始され、敗戦までなだれ落ちて行く、というのを考えると、現代の我々だってごくあたりまえの日常を送っているつもりなのに、気が付いたら落ちてはいけないトコに堕ちている、というのは存外簡単な事なのかも。


なお、準戦時予算は三十億四千万円。
うち、十四億が陸海軍予算。つまり半分が軍事予算である。

この年起工した戦艦大和の価格は1億3千7百万。
戦艦一隻で国家予算の二十分の一ぐらいの価格って訳だ。…それで確認された戦果は皆無。国民にすら存在を秘匿していたので、対米英に何の抑止力にもなってない、という大変あほらしい代物だったわけ。軍事ってのは実につまらん金の使い途である。


んで、所得番付も載っていた。

所得税のトップは(軍需でウハウハ)住友吉左衛門で80万。根津が13万。根津の所得税は国家予算の0.004%である。

根津クラスが千人納税すれば、大和が一隻作れるわけか。
やっぱ昔の金持ちってすげーわ。

もっとも、根津さんクラスの納税者は日本に20人もいないんだけど。