神、枝を這い、蝸牛、天にしろしめす

侘びの茶室は狭くて地味だ。
作るのは金持ちなのに。

ヨーロッパの貴族の館と比べれば、金の掛かり方が全然違うよね、って感じだ。

別にヨーロッパの貴族の館と比べなくとも、安土城聚楽第大阪城も同様に荘厳に作られていた。

この荘厳な場を背負い、貴族は、大名は、相手を威圧する。


侘びの茶室が地味なのは、この荘厳さを与えない為、だと思うのだ。

亭主が荘厳さを背負って客を圧したんでは仕方ないもんねぇ?


でも、これだけだと、狭い理由にはなっていない気がする。
8畳、12畳の地味な書院、でも構わんはずだもの。


私の仮説。

3畳、2畳の狭い空間を貴ぶ理由は、広いと主客に手の届かない空間が出来てしまうから。

手の届かない空間を作ってしまえば、そこに神が住んでしまう。

つまり主と客以外の「誰か不可知の存在」を意識してしまうからじゃないか。

強力な神を持つ一神教だと神は偏在しちゃうんだけど、日本は多神教だし、神社内の空間をもって神住まう場所にする意識が有るしね。

あ、でも、それだと墨跡持ち込む理由がイマイチ説明つかないか。