箒のあと 五十九 最初の茶室入り

私は明治二十五年の十二月下旬の或る日、益田克徳(非默又は無爲庵と號す)氏に招かれて、生來初めての茶室入りを爲した。

“我楽多籠”によると箒庵が茶を習ったのは奥さんの師匠から。箒庵が結婚したのは明治二十四年四月。

修行2年行かないくらいの茶歴でお茶事デビューって事だろうか。

なんとなく、この茶事こそがお茶の最初で、奥さん云々は後付のいいわけの様な気がする。

其中で益田克徳氏は侘茶數寄者で、其人物が最も茶人向きに出來上がつて居たから、兄の益田孝(鈍翁と號す)男、弟の英作(紅艶と號す)氏よりも數年前に茶道に入り、紳士茶人の先輩として、馬越恭平、加藤正義、近藤廉平諸氏をも感化し、幾多の友人をして、漸く茶事に親しましめたる其功績は偉大なる者があつた。

結局、箒庵も、他の有力者同様、克徳に茶の世界に引きずり込まれたわけだ。

益田克徳がお茶を有力者に広めなかったら、特に鈍翁に勧めなかったら、僕等を巡る日本史は、ずいぶんと違うものになっていたろうと思う。