箒のあと 百十三 茶人失敗談1

感服七種。
有名な話ではあるが、やっぱりこれについては語っておきたい。

茶人は人の前で物を褒めて、陰に廻つて惡く云ふと、相場が極まつて居るやうだが、何人でも褒められて喜ばぬ者はないから、茶客として第一の心得は、物に感服する事であるが、其感服の秘訣は、物柄に應じ、場合に篏つて、主人をして如何にもと感服せしめる所にある。

確かに褒める能力、感心する能力は多大に必要とする、と思う。
ただ、現代の茶は必ずしも箒庵達の時代の様な道具競争的な側面は持たない。というか、もう持てなくなってはいまいか?

したがって、物に感服するよりも、亭主の心に感服するのが正しい人の道かと考える。

而して其仕様に七種ありと云はれて居るが、私の經驗を以て、試みに之を類別すれば、第一唸り聲を發して感服する事、第二暫時瞑目して感服する事、第三顔を見つめて無言にて感服する事、第四ヘツヘツヘーと世辭笑ひして感服する事、第五フウ/\と鼻息を荒くして感服する事、第六尻餅をつきグニヤ/\となつて感服する事、第七品物を頭上まで差し上げて感服する事、これが所謂感服七種である。

一はまぁよしとして、二〜六は大げさに過ぎる気がする。七は大事の道具をどうする気か?と問いたい。


さて肝心の失敗談。
これまた有名な話ではあるのだが、感服の達人浅田氏が正客となったエピソード。

扨て、いよ/\香合拜見と爲るや、染付形物香合松川菱を、幾度か眺めて幾度か感嘆し、一同見終りて正客より之を返上するに當り、淺田氏は開き直つて威儀を正し、是れは極めて珍しく且麗しく、同じ形物中に於ても比類稀なる作行である。と縷々述べ立てゝ、頭を疊に摺付けて居たが、楓軒は元來性急で、且つ寡默の人であるばかりでなく、當時は茶事も初心であつたから、正客の挨拶には委細構はず、香合を持つて早々勝手に引込んで仕舞つた。處で淺田氏は、十分に長口上を續けて、徐ろに頭を擡げて見れば、當の相手は早や既に立去りて、主人の座には、唯爐の中の釜ばかりが殘つて居たので、流石の感服家もあきれ果てたる其有様は、彼の狂歌師の惡口に

ほとゝぎす啼きつるあとにあきれたる後徳大寺の有明の顔

とあるのも思ひ合されて、一同ドツと噴き出したが、是れは淺田の感服損とて、當時茶人間に名高い一笑話であつた。

この話は、亭主の動向を確認もせず、延々と感服で一人悶えていた浅田氏が、気付いたら道具も片付けられ、亭主もいなかったので呆れ顔になった、という話なのだが…。


茶の湯は亭主と客とのセッションではあるまいか?


道具が片付けられ、亭主が引っ込んでも気付かない、という段階で客からの一方通行にすぎる気がする。


それなのに、ここでは浅田氏も、紹介する箒庵も、初心者亭主の落度の様に語っている。


これってなんか納得が行かなくね?