箒のあと 百八十一 脱線黨の第一人者

紅艶の笑い話。

寝台車両でトイレ行くのがめんどくさくて水枕に放尿、でも座って破裂させてしまう、なんて話もあったりするが、ここは別の話を紹介。

紅艶が平常近善方に來りて、目星しき道具を買取るや、紙片に其道具の圖を描き、傍に其代価價を付記して傳票に代へ、之を多聞店に持参せしむる習慣であつたが、或る時、仁清の茶碗を五拾圓にて買取り、例の如く紙片に其圖を描いて、傍に

仁清わづか五十圓、二十五圓は直*1でくさし

と書き付けたのは『人生わづか五十年、二十五年は寝て暮らし』の地口で、紅艶が生涯中の傑作なれば、彼が死去した時、香奠返しの服紗に、此文句を染め出されたが、如何にも故人に相應しき洒落た思ひ付きであつた。

地口を香典返しの服紗に染め付ける、というのは遺族が良く判っていると言うか、むしろ遺族すげぇ。

つーか、鈍翁の差金なんだろうな。

*1:原文ママ。多分"値”の誤植