箒のあと 二百七十一 アインシユタイン博士の來庵

大正十一年十一月二十九日午前十時、アインシユタイン博士が、茶式見學の爲、夫人同道で、我が伽藍洞一木庵を訪はれたのは、本庵に取りて誠に光榮の至りであつた。

改造社の招聘で来日中のアインシュタインが日本文化に興味を示したので、福沢三八(諭吉の三男)の斡旋で、箒庵邸に行ったという。

もっとも

博士の在邸時間が、一時間十五分に過ぎなかつたのと、茶道術語の翻譯が中々容易でなかつたので、(中略)思つた十が一をも畫す事が出來なかつたのは、甚だ殘心の至りである

だった様。いくらなんでも1時間15分ではお茶は理解していただけまい。

そこに蹲での清め方やら、炭手前やら、道具紹介やら押し込んだものだから、ちょっと消化不良だった模様。

この件は、箒庵主導のイベントでは無かったってことなんだろう。


なお、箒庵のアインシュタインの印象は以下の通り。

博士は獨逸人としては大兵と云ふ程ではもないが、餘り小さい方でもなく、髪の縮れて居るのも異様であるが、色が白くて、下膨れの豊滿な顔の道具が能く揃って、圓い眼の切れ長く、微笑する時には皺を作つて、得も言はれぬ愛敬を湛へ、柔和で沈着で、之に對面したばかりで、先づ其徳風に懐かざるを得ぬ。

いかにも、といった内容の上、箒庵の人物描写も結局、道具の実見とおんなじなのがちょっとおかしいね。