箒のあと 二百七十六 大震火災と名器

関東大震災の時、箒庵は伊香保に避暑に行っていて難を避けれたとの事。

んで、鉄道も不通になったのでやきもきしながら待ったらしい。

なにをやきもきしたかというと、

名器所蔵者の類燒は、最も私の神經を刺戟し、縦令燒けたりとて、其寶蔵は無事なるべし、よし又寶蔵に火が入つても、名器は他に移されしならんなどとて、夜も安眠し得ぬまでに焦慮したが、

自宅の安否も判らないのに、他人の蔵が焼けてないか、というのに焦っていたらしい。

十日に自動車で歸宅するや否や、先づ水戸徳川家に問合すれば

んで、帰っていきなり徳川家である。

大正名器鑑の製作中だった、というのはあるにせよ、箒庵の茶道具執心というのはとんでもないものだったんだな、と思います。