置土産浮世之茶話 その10 儒者

嘉永の頃或人(越中富山の人なり)茶の湯を催ほさんとするに。人情として。國主の儒の先生一人を加へたり。其の日客待合に來り。相揃ふの時に儒者先生來りて。挨拶もなく上座に着く。客一同先生を正客として。まづ露地に入り。
腰掛に行く。亭主迎に出る。客一同に禮を受ると雖とも。先生は曾て挨拶もせず。故に他客より先生に席入りを進む。
先生前に歩み。口も漱がず帯刀のまヽ躙り昇りの口に行き戸を引き明け。既に入らむとする時き。鴨居にて誤て。大に頭を打てり先生甚憤り。こぶしを握り鴨居の壁を毀る計りに打敲き。其のまヽ立出て。我が家に還る跡は茶事の興も大にさめたり。
亭主早速先生の宅に行き。詫びを乞ふと雖とも。先生尚憤りを増し。茶事は畢竟小兒の戯の如きものにして。大人の成すべき業に。あらずと言て。大に詈しる亭主困却して。其の後は。茶道を廃せりと云ふ。

編者曰く。君子は己を責めて。人を責めず。頭を打しは己が失なり。
何ぞ他の道をこぼたんや。且つ禮の用は和を貴としとす。威儀を知らざる人は儒者と云ふに足らず。

江戸時代というのは、ぶっちゃけ儒者の時代である。
儒者とは、上下の階級の差異をはっきりさせるのが仕事である。なので本質的には茶の湯と相性が悪い。
もっとも江戸時代の茶の湯は、かなりクラス感のあるものに思えるけどさ。

でもまぁ、儒者は誘いなさんなってこったね。