茶道春秋

松永安左ェ門/河原書店/1944年。松永安左ェ門著作集(五月書房)第5巻収録。

人間生活の余裕というものは金があり、地位があって初めて余裕というものが出来る。
茶の湯などはそのあとのことである、というのが常識であろう。
それであればそれでもいい。その点からいえば、茶の湯は金持ちの隠居さんの仕事であるといえる。これと反対に金のある人は仕事が忙しい。
(中略)
その点からいえば金を少なく持ち、時間を沢山持ち合わせている人が余裕がありお茶でも楽しまれるというものだ。
しかるに世の中は妙なもので時間の余りを持っている人必ずしも茶事を楽しむと言うに限らず、忙しく活動している人必ずしも茶事といわずいろいろの趣味をもって悠々として人生をエンジョイしている。
これは形の上では忙しいが、どこか心に余裕のあることを示している。

お茶はやっぱり金持ちで暇な人のものだが、金がある人は仕事が忙しい。金が無くて暇がある方がお茶が楽しめるかも。でも、忙しい人だって心の持ち様で余裕を楽しめるんだよ、というのは実業家 松永安左ェ門の実感か。


でも耳庵先生。

金が少ないから余裕がある、とおっしゃるが、世の中の大半は金が少ない上に余裕がない人だと思います。…そんな人はどうすればいいのでせうかね?