北大路魯山人

白崎秀雄/文芸春秋/1971年。

わたしの魯山人嫌いには、彼自身の対世間的な言動、若くはその風聞も、与っていた。
魯山人の古くから聞えた傲岸と、有力者や著名人に取り入ることの巧みさ、つまり卑屈さ。
別れた夫人へ、そのもって来た家財や衣類すらも返さぬという話。

著者のメソッドは、まず批判的な文面から入り、批判されたのはなぜか、なのになぜ成功者だったのか、そういう風に掘り下げて行く。鈍翁の伝記もそうだった。


そう思って読んでいても、これが一向に魯山人のいい話に辿り着かないんだな。
つーかひどい話ばっかで気が滅入る。


女をだます犯す。ヤるだけヤると興味を無くす。
借りた金は払わない返さない。
信ずるべき人を信じず損をし、信じちゃいけない人を信じて損をする。


はっきりろくでもない。

「しかし、北大路との結婚生活で、愉しかったこともおありでしょう?」
せき女は、善良そうな眼をみはり、それから答えた。
「さあ。愉しいことだのいいことだのは、少しもございませんでしたね。北大路と私の生活は、十年あまりつづいたわけですが。北大路がいくらか私に優しかったのは最初の半年くらいのものだったでしょうか」

取材の結果がこうだもの。しかもこんな↓オチが付く。

わたしの調べたかぎりでは、魯山人と深いかかわりをもった婦人のうち、半年もの久しきに亙って魯山人が「優しかった」のは、せき女一人であった。


魯山人の没後12年に出版されたこの本。


その時点ではまだ魯山人はまぶし過ぎる存在で、バランス的に暗い部分をあばく事で、人間:魯山人を表現せざるを得なかったのだろうか?


のちに取材し直した新版も出ている。読む気しないけど。