数寄屋の思考
建築家の書いた、数寄屋に関する本。
ぶっちゃけ「夢色☆クラシック」。
ページを開くと章題が「絶対的遊戯者の皮膜」とかで萎える。
草庵茶室のクリスタルともいうべき一畳台目は茶室の極限である。
(中略)
私は利休の到達した草庵茶室を、実は日本の北方系先住民の竪穴式住居と重ねて考えている。
日本の昔の住居にはふたつの型があったと私たちは学んだ。
ひとつが竪穴式住居であり、ひとつが高床式住居である。
(中略)
私は利休の中に、北方性文化への傾倒があったと考えている。
そして草庵茶室の中に、竪穴式住居空間の結晶化を見ている。
ああ、80年代の評論ってこんな感じだったなぁ。
こーゆーふーにコムズカシク書くと頭良さそうに見えた時代。
吉村順三の建築、およびそれと志向を同じくする建築を、私は<しみじみ空間>と呼んでいる。
(中略)
吉村順三のしみじみ空間は、ひとのこころを癒してくれる。
しみじみ空間は、ストラグルの行きつく先の心的平衡の日本的形式である。
(中略)
しかし、ここで何故ふたたび、しみじみ空間を数寄屋との関係で語ろうとするか、と言えば、やはり何と言っても、しみじみは戦わぬ数寄から生まれた、最大の庶民的心情で、逆に言えば、数寄の精神はしみじみの中で眠っていられるのである。
しみじみ、という事を、かくも修辞しなければ語れないとは、なんだか大変な時代である。
私が思うに、こういうくどくどしい文体は、茶にそぐわない。
茶は少々、頭がおよろしくないくらい素朴な方がよろしい。
でも、読み慣れて来ると、なんか妙に楽しくはなってくる。
不可解にして異様な建築を頑張り続けるある夜、
主張を繰り返しカニのように口から泡を吹く深更、
数寄を追い求めてモロにあなたの主張があらわれている模型を眼前にしたあなたの耳のうちで、ふと聞いたことのない声がする。それはあなたが闘って来た敵の声ではない。
あなたが打ち倒そうとした憎きものの声ではない。
良く聞いてみるとそれはどこかで聞いた声のようだ。
そうだ!それはあなた自身のではないか!
そしてその声はこうあなたにささやいている。
露骨って、いやですね。
うん、おもろい。なんかおもろいよ!
- 作者: 石井和紘
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