茶人言行録3 将軍のお茶

井伊直澄について。

寛文九年家綱公御手前にて光圀卿へ御茶を下さる時、御相伴は井伊直澄なり、
御自身則御茶なれば、相公も掃部へと讓らるゝ事もならず、されど大服なれば引兼給ひし故、掃部頭かゝる御坐に列なり奉らずば争で御茶を拜領申すべき、
御殘りをご乞はれしかば、相公御挨拶ありて御氣色を窺はれけるに、掃部にも御上意有て則下し給ひける、掃部頭たべ仕舞、端香を相公聞し召れ、掃部頭受取て是を頂戴し直に懐中ありて退出せられける。(後略)

原典は明良洪範。


将軍家綱が水戸光圀に御茶を点てたが、量が多過ぎて「どっしよっかなー」と光圀が思っていると、直澄が「私呑みたいです」と自己申告。
光圀が家綱にお伺いすると、OKが出たので直澄に譲った。
直澄は御茶を呑むと茶碗を懐中し退出した。

古來将軍家御点前のお茶を頂いた時には、如何程貴重なる御茶碗と雖も之を返上せぬのが慣ひであるさうで、之は全く自分の口を付けたものを返上するのは失禮に當ると云ふ意味であらうが、さうすると将軍自身の御手當と云ふものは随分と高價なものであつて、さぅ/\容易に自身で御手前が出來る筈のものではないのである。


将軍は光圀に拝領させるつもりで「よい茶碗」を出しただろうに、直澄はちゃかり貰って帰った…と続く。


って事は、各服点って事で、光圀と直澄にそれぞれ別の茶碗で茶が供さる筈だったって事か?


若干よく判らんのは、直澄が「せっかくだから御茶を拝領したい」と思った事で、相伴ならお茶を頂いて当然なのではなかろうか?

やっぱ正客用の茶碗が欲しかった…のかなぁ。


さて、それとは別に。

将軍はお茶をするたびに茶碗をぶんどられる、とする。

では大大名も、家臣を茶に招くたびに茶碗をぶんどられるのだろうか?


もしそうであれば、大大名が御深井焼等の庭焼をはじめた理由が判るよーな気がする。