茶人言行録4 瀬田掃部の茶杓

徳川家康の項に、瀬田掃部の茶杓に関するエピソードがある。

一日、氏郷見享茶於瀬田正忠、而瀉血數斤、竟得疾、(中略)
他日、東照公聞氏郷薨、命悉取瀬田掃部所製茶匙、破折擲棄云、

原典は野史。


つまり、瀬田掃部が茶室で蒲生氏郷を毒殺した。後にそれを聞いた家康は瀬田掃部の茶杓をことごとく折らせた、というお話。

抑此の家康が何の爲に掃部作の茶杓を折碎いたか、其の深意に至つては今に於て解けぬ謎であつて、之れは多分何か他の事實を誤傳されたものではなからうかと思ふ。

聞いたことないよ?そんな説。


もっとも著者は、蒲生氏郷の項で、瀬田正忠の茶会から氏郷の死まで四年もあるよ、と考
証して、“野史”の記述を否定している。


んー。もーすこし信頼感のある原典で茶史を編纂しようよ。