茶人言行録5 華麗なる黒田正圓

千家十職の黒田正玄

その先祖、黒田正圓の項にこうある。

黒田正圓、正玄二男、住京都、受茶法於小堀政一、動作活様、茶事無枯稿之意、嘗在衆座曰、凡技藝所病者、壮即雅麗、老即枯淡、衆藝皆然、諸友倶議、我茶事過華麗、我窺悦之、聞人皆服

原典は茶家系傳全集。

正圓は遠州流茶道の蘊奥を極めた近世の名茶人であつた。

而して彼れは其の業の成るに及んで、茶室を京都油小路二條に構へて弟子に教授し、以て當時名高き千宗旦に拮抗して其茶名を爭ふた者であるが、正圓の性行は動作活様、茶事に枯稿の態なしとあるから、宗旦とは實に正反対の意志の所有者であつたやうに思はれる。

黒田さんちの先祖は、はじめっから竹芸家だと思っていたのだが、実は京で宗旦と名を争う大茶人だったとは。
#知らんわそんな説。

凡そ技藝に於て病む所のものは、壮なれば雅麗、老なれば即ち枯淡、社會百般の藝術は皆悉く然りである。諸友は倶に我茶事を議して華麗に過ぐと云ふて居る。我れ窺に之を悦ぶとあるのを見れば、正圓の茶事は随分と華美なものであつたやうに思はれる。

「あいつの茶ハデハデだよなー」
「お誉めいただいてありがとー」

ってトコか。


でも著者は言う。こーゆーハデハデ茶なんてしてたら祟られるぞ、と。

今其の遠州が子孫の末路は果して奈何であつた乎、
(中略)
延て累を子孫に貽した爲であるかと思ふのである。

ん〜。正圓の子孫が宗旦の子孫の下働き業者みたくなっている事を揶揄している…のか?