茶人言行録7 遠州の醜聞
小堀政一について。
小堀遠江守政一は五畿内の總代官なりしにいかなる故にや、急に御納所の勘定被仰付しに夥敷引負有て既に家滅亡に及ばんとせし所に、
(後略)
原典は細川家玉露叢。
細川家所蔵の飛鳥川の茶入は、小堀遠州が公金使い込んでやばくなった所に、細川三斎達が送金して助けた、そのお礼なんだよ、っていう由来話。
んで、著者は遠州にお怒りである。
當時遠州の勢力と云ふものは實に飛ぶ鳥も墜す位であつた。
然るに何を苦んで士君子の最も恥づべき所の公金私用を敢てしたものである乎、
私は決して遠州に對して道學者敵の厳粛なる品行方正を希望するのではないが、せめて斯くの如き醜聞を後世に貽さないやうにして欲かつたものである。
おお、言ったれ言ったれ。
遠州の孤篷庵は、加賀前田家の芳春院、筑前黒田家の龍光院と比べても遜色無く、大大名でもない遠州には僭上の沙汰ではないか?という指摘もあったりして手厳しい。
そうなんだよね。
利休、織部と、潔く死んでいった先達に対し、あまりに俗な遠州の姿はちょっと寂しいものがあるよね。
でも遠州が俗気を吹き込んだからこそ、茶道は一般に普及したのかもしんないとかも思う。
あまりに求道的すぎると、パンピーが楽しめないものになりそうだもんなぁ。