茶道具をそろえる
茶道具をどうそろえて行けばいいのか。
金のある茶人には大きなテーマだが、侘びの茶人にはいっそう大きなテーマだ。
そう思って買ったのだが、これは役には立たないや。
序文では堀内宗完宗匠が
昔から、道具はその分に応じて持ち、その人の茶の湯もその人の分に応じた茶の湯であってこそ、本当にその人の茶ということができるとされています。茶の湯には必要以上の背伸びをする必要はありません。
と、大変いいことを言ってくれている。
次に小田栄一さんが
商人としてはもちろん原価もあり、売り値は当然ほぼ決まっているのであるから、値切るお客には当然高く掛け値をすることになり、しかも良質の品を見せてくれなくなるのである。
と、なんか役にたちそうな事も言ってくれている。
ただ、そこから後に出てくる図版が、
…。
「茶道具をそろえよう」とか思う段階なら、京焼のしょぼいのとか、高くて佐々木昭楽の写し物とか、そういうのを図版の上限にしようよ。ハードルあげ過ぎだよ。
千家十職の紹介やら、現代の有名作家の紹介、もお高い世界への誘導すぎる。
気になったのは池田瓢阿の解説中の一文。
新物を取り合わせぬ昨今の茶の湯にあっても、瓢阿作としての花入は格別の評価を得ていた。
うーん、80年代初頭の茶というのはそういう道具茶だったの?
ハードル高けぇ時代。