茶道具をそろえる


別冊家庭画報/世界文化社/1982年。


茶道具をどうそろえて行けばいいのか。

金のある茶人には大きなテーマだが、侘びの茶人にはいっそう大きなテーマだ。


そう思って買ったのだが、これは役には立たないや。


序文では堀内宗完宗匠

昔から、道具はその分に応じて持ち、その人の茶の湯もその人の分に応じた茶の湯であってこそ、本当にその人の茶ということができるとされています。茶の湯には必要以上の背伸びをする必要はありません。

と、大変いいことを言ってくれている。

次に小田栄一さんが

商人としてはもちろん原価もあり、売り値は当然ほぼ決まっているのであるから、値切るお客には当然高く掛け値をすることになり、しかも良質の品を見せてくれなくなるのである。

と、なんか役にたちそうな事も言ってくれている。


ただ、そこから後に出てくる図版が、

  1. 破れ虚堂
  2. 青磁鳳凰耳花入
  3. 唐物肩衝 師匠坊

…。


「茶道具をそろえよう」とか思う段階なら、京焼のしょぼいのとか、高くて佐々木昭楽の写し物とか、そういうのを図版の上限にしようよ。ハードルあげ過ぎだよ。


千家十職の紹介やら、現代の有名作家の紹介、もお高い世界への誘導すぎる。


気になったのは池田瓢阿の解説中の一文。

新物を取り合わせぬ昨今の茶の湯にあっても、瓢阿作としての花入は格別の評価を得ていた。

うーん、80年代初頭の茶というのはそういう道具茶だったの?

ハードル高けぇ時代。