茶の精神

竹内尉/鮎書房/1949年。

お茶の精神性について主に語った本。


当然お茶をホメまくるのですが。

世に藝術といわれるものは、人間生活の一部の、しかも最も美しい方面が、抽象せられたものが多いのだが、茶は日常生活の具體的に綜合された藝術だということになるのである。

ちょっと持ち上げ過ぎな気もいたします。


この本のおもしろさは、むしろお茶の精神性部分ではなく、ときおり開陳される面白い茶史、なのかもしれません。


例えば武野紹鴎

かつて信長は紹鴎を召し抱えて茶堂としようとしたが、それに意のなかつた紹鴎は宗易(利休)をかれに薦めたのであろう。

いや、紹鴎が死んだ年にはまだ信長は美濃すら手に入れていないので、それは無理ってもんですよ。

かれは、信長の部下のすすめる茶に毒が盛られていることを知つたが、その避くべからざるを悟つて、自若としてこれを服した。

うーん。

求道者たるもの権力者から死を賜わらないといけない、という強迫観念でもあったんだろうか?