茶の精神その2 茶の正統
「茶の精神」の続き。
求道者としての紹鴎が信長から死を賜わった、そういう竹内史観。
じゃあ竹内史観的な茶史の正統はどういうものか。
なぜか信長に毒殺された紹鴎についで利休。
内容はわりとフツー。
でも:
利休の傳書といわれる茶書はかなり多く殘つているが、その種の傳書は後世の僞書が多いのだから、これを直ちに根據とすることは多分の危険があるし、また、その内容は甚だしく杜撰なものが多いのである。
ただ、南方録の如きは、かれの直話を筆録したものと云われるから、その話の内容もまんざら僞書的なものではなかろうが、
まだ南方録が信頼されていた時代なんだね。
そして宗旦。
われわれは利休の直接の後繼者としての道安や少淳、また七哲というような弟子達をその當時のすぐれた茶人として認めなくてはならない。
(中略)
しかし、孫の宗旦の生涯をみるときは、利休がなさんとして、なし得なかつたことを宗旦が踏み拓いたかにもみえるのである。
そーかなー?
利休と宗旦って茶人として方向が全然違うと思うけど。
とりあえず、著者の考える茶史は紹鴎→利休→宗旦というもの。