茶の精神 その3 清正

著者は云う。

千利休加藤清正の話は相當人に知られてゐるようだが、これは禪的な味のある話だから、ここに試みよう。

利休と清正の話?そんなんあったんかいな?

秀吉が朝鮮役を起こそうと計畫したときは、加藤清正はもちろん主戦論者であつた。
が、秀吉の態度が煮えきらないので、清正は焦燥してゐた。
秀吉のけつ起しない理由は利休の如き茶坊主が秀吉に日夜接近して、茶の湯ばかりさせているからだと考えた。
そこで利休を斬り捨てしまえば秀吉も奮起するであろうと思い、清正はある日利休の茶室を訪ねた。

え、えれぇ剣呑な話!

利休はこの珍客に茶を饗應しようとして、茶室に招じ入れたが、清正は帯刀のまま茶室に入ろうとした。利休はそれをたしなめて、刀をとるのが茶法であると云つたが、清正は「刀は武士の魂でござれば寸時も話されませぬ」と抗辯した。
そこで利休も止むなく、薄暗い二疊の小室で、湯を沸かしはじめた。

ドキドキじゃないですか。サスペンスですよ〜。

清正は刀を引きよせて機會をねらつていたのであろう。
ところが利休の心に少しのすきもない。
湯がふつふつと沸き立つたとき、利休は釜を爐中に轉倒させた。
狭い茶室は灰かぐらで一ぱいになつた。不意のでき事に、清正は刀をそこに置いたまま茶室の外に出てしまつた。

この時、利休は静かに「肥後殿、武士の魂をお忘れぢや」と云つて、刀を清正に渡しに出た。

んー。

「芸道の達人誰某が芸をする時、武芸の達人にも隙が見付けられなかった」話の類型ね。


著者の考える「禅的な味」ってのは、釜を転がす様な機転のことらしい。
「茶の精神」の正統に位置する利休のやることにしては、なんかしょうもない気がするけど。
もっと正面から、茶自体で相手を諭す、みたいな事はできないんだ…。


にしても。

兵は拙速を貴ぶ。

清正は、迎えに出てきた利休をおもむろに斬殺すべきだったよね。

二畳の茶室なんて刀ふるいにくいトコに入る前に。