茶の湯古今春秋 その3 十四屋宗伍の置合

松屋会記に載っている、天文六年九月十二日の“京都十四屋宗伍へ"の再現。

松屋会記にはこうある。

台子ニ平釜 天下一、棒ノ先
蟹蓋置 上に曲ケ盆ニ高麗
茶碗ト薬籠ト置合セテ

台子をきちんとやっていない私でも、高麗茶碗が飾り置かれている、というのは天文年間としては異例である事は判る。
しかも茶入でなく薬籠である。

わたくしが、この道具組を取り上げた第一の理由は、曲ゲ盆に、中次と高麗茶碗をのせて、台子の上に飾っているということである。
室町時代の台子の点前は、茶入と台天目を盆にのせて台子の上に飾るのが普通のやり方で、茶筅置に使用していた高麗茶碗を、盆の上にのせるのは、茶の湯の侘び化を示す一例になるからである。

当然、4ページばかりこの置き合わせの場合のお点前の仕方が載っているが、略す。


なお、この置き合わせでのお点前に関しては意外な障壁があったらしい。

真の台子を使用したかったが、皆具でなければ台子の点前をしてはいけないということなので、竹台子にした。
しかし、台子が、皆具でなければ使用できないという規定ができたのは、千家流の茶の湯が、体系化された如心斎以後のことであろう。
野村宗覚や、藪内紹智に宛てた利休の伝書には、「水指、やき物か、塗り物ならば、其分別して見合せ置くべし」と書いてあって、皆具でないことを示している。

この時はこう、という格がお茶に用意されたのはどうも後の事みたい。でも、それって格に縛られることでもあるので、良いことだったのか正直疑問はあるよね。