茶道雑話 その5 閑中獨言

井口海仙の語る、昭和初期の茶会の経費について。

此の頃の茶會は、やれ時代が合はぬの、時候に適せぬのと、道具の取り合せを、第一に、姦しく云ふから(中略)
とにかく釜を掛け、客を招待して、先づ/\無難なお釜で……と云はれるには、すくなくとも、二百圓位はかゝる事になるのである。

昭和ヒトケタ代の二百円って、多分今の百万くらいじゃなかろうか。

道具組の基準レベルがそこそこ高い事、及び、点心を出さない薄茶一杯だと客が納得しないという風潮のせいらしい。

ある茶會通(變な言葉であるが)に云はすと、それは君、一人でやらうと思ふからいけないのだ、お師匠さんの中では、釜をかけて、自分の茶債(これも變な言葉だが、つまり招待されるばかりで、こちらから、まだ招き返しをしてゐない事)をすました上、若干、金を殘す人がある。
つまりその日の費用全部を、社中に割り當てるのだ。
そのかはりには、昨日入門した日とでも、お點前をさせる。
何の事はない。お弟子さんにしてみれば、金を出して、點前をさせてもらふのだ。
それに、何にも、お稽古……でと云へば、水谷の荒仕事迄、社中で間に合ふから、此の費用も浮くと云ふもの、道具にしても、金のありさうなのに、これは買つておいた方がよろしい、と賣りつけておいて、當日、それを拝借に及ぶ。

実に嫌な話である。


でも、茶道月報という場で、裏千家の一員がここまで苦言を呈したわけだけど、きっと何にも状況が変わらなかったろうな、と思うともっと嫌な気分になる。