茶道雑話その6 天狗

井口海仙の話の中で、これは…お上品な私のブログではちょっと紹介できないな、というナニな話があった。でも紹介しちゃう。

先日、陶器師の久世久寳が來て−爐蓋を造つて上げるから、何なりと望みの型を云へ−と云ふ。
久寳が、私に爐蓋を造つてやるといふ約束は、もう四五年前からのことだが、いつこうに造つて呉れないで(中略)

で今年は、ウンと難題を出してやれと思つて−天狗が十徳を着て座つてゐるのを造つて呉れ−と云つたら、−ウワア!それは面白い。よろしい。キツと造る。そしてその天狗の顔を、あんたの似顔にする−と大喜びで歸つて行つた。

陶器の炉蓋って、いまいちピンとこなかった。
「久世久宝 炉蓋」で検索してみた。
なるほど、こういう奴か。

それから後、高橋宗伯君の初釜で、梅上西庵と同席した折、爐蓋の話が出て、−爐蓋は道八が、狸のを造つたのが最初らしいがこれは、侘び茶人が、茶を點てない時、爐にかぶせて、その上を撫で廻しながら、讀書したり又は親しい友達と雑談したりする、つまり手焙り代りに考案して

(中略)

だが、手焙り代りに撫で廻すとなると、私の注文した天狗は、少々不適當な型だつたと思ふ。何故なら、鼻が邪魔になるからである。
こんな事を、久寳が聞けば、又喜ぶだらうと思うふが……。

シモネタのジョークである。しかもなんかホモっぽい。


昭和十年頃は、おっさんがこういう話をできる空気が茶道月報にあったのか、と思うと面白い。だって今の淡交にこういうの載せられなさそうでしょ?

お茶はまだ、おっさんのモノだったんだな。