もし南方録がなかったら

南方録は、300年ちょい前頃、利休百回忌の頃に突如世に出た本である。

世に出た、というのは間違いで、実はこっそり世に浸み出した、という感じ?

立花実山が「いやぁ、こんなの手に入れちゃってハハハ。秘密守れるなら写していいよ」とか身内で楽しんでたら死んじゃって、以後秘密がダダモレ。じわじわ江戸で武家の間から流行。参勤交替で武士が全国に南方録を広めていった。
200年前ごろには井伊直弼が影響受けるくらい流行ってた、と思う。


で、本題。

南方録が世にひろまってから、少なくとも200年は経っているし、その後のお茶の発展に、南方録は大きな影響を与えて来た。

というか、わたしたちが思う「利休」というもののほとんどは南方録由来なんじゃなかろか?


もし南方録が存在せず、茶話指月集の語る利休が手本だったら結構大変だ。

  1. もてなしが気にくわなかったら途中で帰っていい
  2. 花を美しく入れる為に、回りの花をむしっていい
  3. 道具を買ってと頼まれたら、サラシ布買って送ればいい

みたいな、あまり性格のおよろしくない人を皆で見習う事になってしまう。っていうか、お茶の師匠達の口から「利休さんがこうしたから」という形で出るエピソードが激減すると思う。


200年の間、茶の心を支えてくれたものを、いまさら「偽書だし〜」と言ってもはじまんないんじゃなかろうか?もし南方録が偽書だとしても、もはや茶と不可分だと思うし。

いまさら南方録を排除した茶なんてできないぜ?「三炭三露」「掛物は道具の第一」とか、そういうのを「利休の頃はそういう茶じゃなかったから」とか言って排除して、香炉を愛好したりはできねぇよな。