南方録 覚書
南方録は、世の中的に南方録は禅に偏り過ぎとか、茶禅一如の書であるとか見なされているらしい。
だが、私は南方録は、むしろ逆。禅に対する茶の優越を記した書だと思っている。
なんでか。
山上宗二記はこういう。
ところが南方録の覚書はこういう。
宗易の云、小座敷の茶の湯は、第一佛法を以て修行得道する事也。
「茶の湯∈禅」だった山上宗二記に比べ「草庵の茶の湯∈禅」として書院の茶の湯を除外した南方録。これって結構なトーンダウンでないかい?
まぁそんな事は些細な事だ。さらに、南方録の利休は続ける。
家ハもらぬほど(中略)是佛の教、茶の湯の本意也、
茶は仏の教えにかなうものですよ、とドヤ顔で続けるのである。
そして最後に締めくくる。
なを委しくハわ僧の明めにあるべしとの給ふ。
つまりこういう事だ。
お茶ってのは仏の教えに叶うものですよ、詳しい事は仏の修行をしたあなたなら判るでしょう。
なんて。
たかだか市井の商人ふぜいが。
なんと集雲庵の二世に向かって。
よりによって。
…仏の教えを説いているのである。
「お前如きが判った口聞くなど片腹痛いわ!」とぶん殴られて当然だと思うんだけど。南坊宗啓だって臨済宗なんだぜ?
一休に参禅した珠光。一休は、岐翁紹禎を介し南坊宗啓へ繋がる。
北向道陳がどうこうとかいろいろあるけど、世間的な茶の湯の道統の捉え方としては、珠光は武野紹鴎を介し利休へ繋がる。
一休から、そして珠光から、それぞれ三世が利休であり宗啓である、と考えてみる。
三代にして師弟関係が逆転したっていうこの構図は、茶の湯を禅の上に位置付ける為のものだったんじゃないか?