宗旦と弟子

末宗広の茶人系譜には、千宗旦の弟子が列挙されている。
息子を除くと31人。

そんなかでお金持ちそうな人を挙げてみる。

  1. 藤村庸軒 呉服商
  2. 松尾宗二 呉服商
  3. 京極高広 丹後宮津城主
  4. 石川自安 犬山城主の子で商人?
  5. 吉良義央 三河幡豆郡領主
  6. 壁庵 尾張徳川家侍医

飛来一閑左官の土斎の様な貧乏そうな人もいたけど、こういう金持ちが弟子、すなわちスポンサーにいたのなら、宗旦が貧乏であった理由が全然判らない。


もしかして宗旦は弟子から謝礼を取らなかったのだろうか?
弟子は宗旦に謝礼を出したり生活を支援しなかったのだろうか?

ひょっとすると今の流派や師弟といった感覚とは別なのかもしんない?