石州秘伝 石州三百ヶ条6 めんつうの置様宗二宗及また宗易三つの事

面通の向きについて。

石州秘伝本:

めんつうの置様宗二(紹鴎)宗及(道安)また宗易(利休)三つの事

曲げ物の水こぼしをめんつうといふ宗二とぢ目を向へなす宗及わきへなし宗易右の方へ向け持つにもとぢ目持たぬもの也。
ひさの通りか又半分かけても置也。
道安は後へ引こめてお置れし也。


茶道古典全集本:

めんつう置様宗二(山上)宗及(津田)又宗易三つの事

めんつうおきやう、山上宗二ハとぢめを勝手の左の脇へ出し候、
津田宗及ハとぢめを向へ出し候、
宗易ハとぢめを前へ致し候、
石州もとぢめを前へ用被申候、
然共、とぢめを向へも勝手のワきへもむけ候事もなき事にてハ無之、宗及ハ江月和尚の父なり、宗及も宗二も紹鴎の弟子なり、

えーっと、こんな感じ?

石州秘伝本:

茶道古典全集本:


宗易の綴じ目の方向では茶道古典全集本の方が馴染みだよなぁ。


さて、この話から言えること。


おそらく片桐石州は、宗二、宗及、宗易と書けば誰か判ると思っていた。

しかし藤林宗源にとって、山上宗二、津田宗及は大変にマイナーな存在で、紹鴎や道安に同定せざるを得なかった?

でもなぁ。

藤林宗源って片桐石州と師弟だけど、概ね同年代。石州の母は今井宗薫の娘。そこに堺人脈があるなら石州の家臣藤林宗源もせめて津田宗及くらい知っていないとおかしいと思う。つーか、師匠に聞けよ。

まぁこの章題への注記は別の人が書いたと云う可能性も否定できないな。


んで小泉了阿の時代。

宗二や宗及が誰かの知識はあった。多分どっか外から与えられたってことだろう。それでも注釈が必要だった。
もしかすると茶書つーか茶史を書いた茶書があってそれを読んだのかもしれない。


ま、なんにせよ、より歴史の古い石州秘伝本の宗易の綴じ目方向が我々の知見と違う、という事から、茶人の伝承やらなにやらがちぃーーーっともアテにならない、というのが判るんじゃないかと思う。