茶道四祖伝書2 利休居士伝書 平釜の話

利休居士伝書には、利休の性格の悪いエピソードが並んでいる。

易こう釜を佐久間(殿)へ五百貫〔ニ〕売、其後頓テ信長公平釜ヲ御望ノ由易ニ被仰候得バ、御無用と達而申上ル。何程よく候とも平釜数寄ノ用ニハ立間敷候、か様ニ申儀曲事ニテ太刀取向候ハゞ、太刀ノ下ニテモ理申候て曲事ニハ成間敷ト云也。自是天下ノ平釜捨リケリ。

“こう釜”は文脈からして“ヒラ釜”の翻字間違いか。

訳すぜ。


利休が佐久間(不干?)に平釜を何千万クラスの高値で売りました。
すると突然、信長が「俺も平釜が欲しいなぁ」って言ったので、利休は「平釜なんていまどき数寄でつかわねっすよ」と答えたわけさ。
佐久間との商談を知っていた信長は「お…おま…なんちゅー。…殺ス」と刀を振り上げたけど、利休は説を曲げなかった。その結果、これは不正じゃないって事になって日本中で平釜がポイされた。


…という話だと思う。

信長の短気に屈しない利休の男気すげぇぜ、って話なんだろうけど、流行遅れのものを他人に平然と高値で売りつける利休の性格の悪さにびっくりするぜ。

そして、こういう売買が当時も不正と受け取られていた、と言うことも判る。

あと、この話、山上宗二記の

平蜘 松永代ニ失、宗達平釜、藤波平釜貳ツ、但、此三ツ釜ハ當世在テモ不用、

と符合していて信憑性妙に高いね。