利休百会記 11人いる!
ついでに利休百会記も読んだのでちょっと気になった所に突っ込みをいれるネ。
霜月九日晝
(いたみのや)紹無 (千ノ)宗杷 (あふらや)宗味 (具足屋)流安(庵)
(播磨屋)宗丸 (上林)休徳 道七 (千ノ)紹安
(千ノ)箕庵 (千ノ)紹二 もずや宗安茶湯四疊半
御飯 廣間にて
(後略)
四畳半に11人は多過ぎるだろ。さすがに飯は広間だけど。
お茶が正座しないものだった時代に11人入れるのはどうすればいいのだろう?…肩車?
九月十三日晩 圓周(口+周) 壱人
四疊半
廣間にて御飯
(後略)
一客なのに四畳半、しかも飯は広間でって寂し過ぎるだろ?
二畳の茶室使おうよ!
閏正月十一日朝 輝元殿 一人
(中略)
佐世與三左衛門
林 肥後守
少庵老右三人廣間にて食、茶の時座敷へ出る。
(後略)
毛利輝元を輝元殿よばわりはよそうよ、失礼だから。安芸中納言殿と呼ぼうよ。
なのに自分の妻の連れ子に老ってなんだよ。自分より年上かよ?
敬称がめちゃめちゃだよ。
以上、突っ込み終了。