茶道四祖伝書7 古織公伝書 路次入

席入の時、手水を使うかどうかに関して。

路次入(ヲ)、何時ニテモ菓子不時之茶湯ニハ手(洗)を遣て入座す。
飯ノ時ニハ手洗を不遣入座するを、慶長八九年之頃よりハ、朝会斗ニ手洗不遣入座す。
其巳後ハヒルモ晩モ会ニて行とも手洗遣て入候なり。

昔は菓子茶事、不時の茶事の時は席入の際に手水を使うが、外の会は手水は使わなかった。


慶長八九年から朝会の時は手水を使わないが、外の会は手水を使うようになった。

慶長八九年以降
菓子
不時
× ×
×
×
夜噺 ×

昔の理由は判る。

飯のある茶事は中立があり、そこで手水を使えば道具の拝見の時には手がきれいになるので道具が汚れないから、であろう。

慶長八九年以降の理由は?

朝は仕事をしていないから手がきれいなので中立まで手は洗わなくていいけど、ほかは駄目…って事?

よく判らんが、この時期になにかしらの潔癖に関する意識が変わったのかもしれない。

またそれが「慶長八九年」である理由はなんだろう?織部時代の後期にあたるので、なにか織部の指導があったのだろうか?


この時期の大きなできごとを調べてみる。…めんどいのでwikipediaでな。

慶長八年には江戸幕府の開府があった。が、まさか関係なかろう。

慶長九年には畿内で痘瘡・麻疹が大流行…関係ないとはいえまいが、当時の人々に感染症予防に関する知識があっただろうか?


正直判らん。

まぁとりあえず、南方録の

客も初の所作に手水をつかふ、これ露地草庵の大本也、此露地に問ひ問ハるヽ人、
たがひに世塵のけがれをすヽぐ為の手水ばち也

みたいなことは、実際には利休時代にはなかったって事でいいのかな?