利休のイメージ

同時代の山上宗二記。

一世代後の茶道四祖伝書と長闇堂記。

さらにその一世代後ろでの伝聞の茶話指月集。

このころの利休イメージは、割と共通していると思う。

  1. 人に厳しい
  2. お金に厳しい…というか汚い
  3. 性格悪い
  4. 権力指向
  5. でも工夫をいろいろした

そして:

利休は年ハ六十六ニ候へども、皆ニ自身給仕メされ候、少もぬるき事無之候、

…草部屋道設が語るように、ぬるい所は一つもなかった。


利休と言う人は、情熱的で俗っぽく、何事も徹底的に貫くおっさんだった様に思える。

聖人君子っぽい南方録の利休とはえらい違いである。


我々はつい南方録の利休で、利休の賜死の原因を探してしまう。

だから、「芸術性の対立の悲劇」とか思ってしまうのだが、近い時代の評価を元に考えれば、利休の俗過ぎる部分で「権力闘争」「目に余る黒い金」とかの方がむしろありそうに思える。

多聞院日記が言う様に、利休は"売僧の頂上"として処刑されたのかもしれないな。

茶道四祖伝書を読んでいてそう思った。