茶道四祖伝書9 三斎公伝書 三斎云…

久重の伝える細川三斎は、直接のつきあいがあるだけにリアルである。

三斎のぼやき:

三斎云、茶ヲ立てすヽぎを呑ハ不思議也。毒ノ為ならば何とて食ハくわぬぞ。
今ハ茶の後ニ湯を呑候と聞へ候。易の時無之事也。
情を出て能茶を点、湯にて洗流事不思議第一也。薄茶をさへ被下間敷と云事在之ニ。

「なんで茶の後に(茶碗を洗った)湯なんて呑むんだろう?利休時代にはなかったんだが…せっかくのお茶の効力が流れちゃうじゃん。薄茶だってどうかと思うくらいなのに」

どうやら別に汲んだ白湯を呑むのではなく、すすぎを呑む習慣があった様だ。

ただ、濃茶→薄茶の流れも否定されるのか…結構影響でっかいな。
目薬をした後目を揉むな、みたいなもんか?

となると、薄茶器の飾り残しとか、そういうのがいつ成立したのかも知りたい所。

んで続き。

中立シテ入座之時、水差ニ茶入茶碗置合、三(ツ)一処ニ有之を、ヘノコ飾と云て三斎嫌候なり。
自然水差之前ニ茶入茶碗置合候ハゞ、茶入ノ前と茶碗之前とロクニ置ゾ。
如是置バロクニ置クニ無之、少成共違ヘテ好ゾ、是習なり。

…へのこ…。

左は駄目で、右はOKという事か?

茶道は結構初期から厳密な置き合わせを要求していたんだなぁ。