利休の茶花3 梅十九題

著者は言う。

利休の、梅の使用例は多いと言う。

ともかく、利休が好んだのか、それとも記録者が感服したためか、明らかではないけれど、
梅の挿花例は、実に十九会に及んだのである。
(中略)
それらを、ここらでまとめておこう。

十月〜閏正月の梅の使用例が十九示される。

が。

それぞれの会の出典が示されないのだ。ひどく残念である。


でも、どうも著者が語りたいのはこっちらしい。

その花材について、宗湛は「白梅」と明記している。
他の梅は、ただ梅とか、梅の花などと記され、その色まではつたえていない。
「利休時代ハ、花モ紅ハ嫌、大形、白キヲ用也」(茶道秘書)
(中略)
茶道では何故に赤色を嫌うのだろうか?

赤色は「雑色」と考えられたからである。

ここまでなら「なるほどね」なのだけれども。

赤い色は、余りにも現世的過ぎる。
理想を求めている魂に反して、現世を謳歌するだけにとどまっている肉体である。
積極的な発展をおもっている精神的な活動でない。
それは思想的な世界でなく、肉体的な世界にとどまっている
人間性発展に対して、正しい意味に置いての積極的なものではない。
それは積極的発展を希求する相ではなく、いたずらに現世を謳歌するにとどまる。

夢色☆クラシックかよ。


赤い花は、利休時代以前の暗い茶室では映えないから、とかの考察はないんじゃろうか?