利休の茶花2 鶴の一声

鶴の一声(旧銘 鶴の嘴 但し鶴は雨冠の異字体)は、利休所持の名物花入である、と山上宗二が語った品である。

著者は、松屋会記の天文六年の会からそれを引き出す。

利休の挿花についの最も古い記録は、彼が催した茶会の中で、最初の会記として載っているものである。
(中略)
二月十三日朝
京都與四郎殿へ 宗易事也 久政
大釜 一 塩引 汁菜
天目 引汁鱸 あめの魚 めし
細口に花 引もの鮎焼く
鶴の一声 菓子 いろもち 焼くり
此年與四郎十六歳に当る

うーん。この京與四郎殿は、必ずしも利休と同一人物か怪しいと思われる会だよね。“鶴の一声”(異本では鶴のはし)の記載は“宗易事也”の様な、後年の書き足しじゃないだろうか?利休の会で、細口の花入なら、鶴の一声に相違なかろう、的な感じで。

合憎なことに花材は書かれていない。「花」とだけある。
利休がこの花入れに挿花していたのはわかる。
しかし、何であったかがわからない。
掛物についての記載があれば、その意向によっての想像もできようか。
ここでは、その手掛りもない。
梅 ── 不図、そんな花材もうかんでくる。

いや、そこで想像の翼を広げちゃったら、なんでもありになっちゃうんじゃないだろうか?

「ひまわり ── 不図、そんな花材もうかんでくる。」とかだって書けるわけで。


で、研究対象は宗久茶湯抜書の永禄九年の会、松屋会記の永禄十年の会に飛ぶ。

花器のあつかいは、三十年前の天文六年とも、また前年のときともちがっていた。
今回は花をいけていない。ただ、『水ばかり』をいれて、かざられていたものである。

しかし、松屋会記の該当部分を見ると

メシ過テ、床ニ鶴ノハシ、ヌリ板ニ、花不入ニ水斗、
紫銅ムモン、高一尺ホト、輪ソコ、

とある。

まるで初見かの様に詳細な説明と図があるわけで、そこを無視するのは、自分に不都合な資料の排除としか思えない。これは研究としてどうなんだろうか?