利休の茶花4 朝顔の伝

著者はいう。

利休『朝顔の伝』は、彼の挿花に関しての説話の中で、もっとも有名なものである。
いろいろな『伝承挿花』(伝花)がのこっている。それも、朝顔の説話が、一番に、利休の魂へ、触れやすいものだからだろう。
しかし、もっともたやすく触れられるものでありながら、実際には、もっとも困難なものだともよべる。

なにをいいたいか正直良く判らん。でも、朝顔茶の湯のエピソードは、利休のエピソードの中でも異色である、という気はする。

著者は、会記に残る朝顔の使用例を挙げた上で、説話は説話だとして語る。

利休の朝顔のいけ方が問題にされているのも、記録ではなくて、この説話からなのであった。

この朝顔の説話の元になったのは、以下の考え方によったものだという。

庭前に植わっている樹木の花を、挿花してはいけないと云うのが、利休の孫である元伯宗旦(一五七八<七五>〜一六五八)の原則的な考え方であった。
(中略)
織田貞置(一六一六〜一七〇四)なども、同じような考えであったらしい。

他の章に比べ、当時の茶の湯の考え方に触れている点評価できる。

…全章でこの記述粒度をお願いしたかった感じである。

熊本の小堀長順は、「茗理正伝」でのべている。『ケ様に咲たる花を皆払い捨て、一輪、床に入れて、人をおもしろがらするは、利休本意にあらずと云』と、反対の説のあるのを伝える。
その上、自己の考え方をのべて、さらに『説あれ共、あさがほを興に、茶の湯を仕れとヒ仰上は 壱りん 床に活けたるは 利休ものすきの勝れたる処也』とつづけている。

小堀長順は肥後古流小堀家の三代。

長順自体はそうではなかった様だが、朝顔茶の湯に当時としても反発があった、というのは面白いね。