三島

我が家ではピークタイムの電力消費を抑える為、お米は土鍋で炊いている。


さて、土鍋と言えば、三島である。

むしろ三島と言えば土鍋、ぐらいの知名度になっているのではなかろうか?


だが、三島は、桃山時代には高麗物として珍重された技法だった筈。

三島という技法。
…ここ400年でここまで格が下がった技法はないのではなかろうか?


では、なぜ三島と言えば土鍋、みたいになったのか?

そういう土鍋の歴史を紐解くような資料が見つからない。
法政大学出版局の「鍋・釜」もこの疑問に答えてくれないので、ここからは推測である。


まず、鍋に金属を使う、なんてすごい贅沢な話で、歴史的には弥生時代から連綿と土鍋での煮炊きがされて来た、はずだ。
#しかも素焼とかの。

だが明治維新から戦前に掛けて世の中が贅沢になり、金属の鍋釜が普及した。

しかし、第二次世界大戦の時に金属の供出があって、対策として土鍋が復活した。


戦後、土鍋は大量生産品となった。

んで、大量生産で型物生産する場合の加飾に、三島の印押しの技法が非常にマッチしたのではなかろうか?


参考に、うちにある三島の土鍋の蓋と、この前笠間で買った三島の鉢の写真を。

ううむ、同じ技法でこんなに違うんか、と笑えるくらいだね。