南坊録の研究

西堀一三/寶雲舎/1944年。

研究、というタイトルだが、資料としての南坊録になんら疑義を抱いていないので、研究というのは言い過ぎ?

南坊録に関する解説書、というのが正しいか。


後に熊倉功夫が「南方録はどういう茶をしようとしていたか」という視点で書いていたが、西堀は「南坊録はどういう思想を語っているか」を徹底的に解説してくれる。

解説内容自体より、西堀一三が南坊録を思想書としてみていた、というのが面白い。


ただ、昭和19年、という極端な時代に出た本なので、やっぱ思想があっちより。

三、掛物ほど第一の道具はなし、
(中略)
「南坊録」の中には
「勅筆道歌に限らずとも、情ふかき歌物、さびたる體の歌などある歌人のかきたるを用、尤四疊半には猶更心得違ひあり、わびていはあらず、左様の時には道歌にあらずともよしといへり、戀歌はいむべし」
の語がみえる。

南方録のどこにだろう…この部分探しても見つからなかった。

「利休居士改正書院飾秘事」なる書に「附書院は東山公より初まる。棚もまた同じ、夫将軍家に於て綸旨降下の節、
(中略)
その筆者は明らかでないが、とにかく、皇室に對する志が座敷の構成の中に含められてゐたことは、勅筆が道歌と共に貴重される所以を示すのである。

とにかく「皇室」「神道」に話がもってかれてしまうというのがこの本の問題かも。

「家は漏らぬ程、食事は飢えぬ程にて足る」とこの本文にあるが、この言葉は、先年國民座右銘にも選擇され、現代の我々にとつても痛切なひびきをもつものとなつている。

ああ、この侘びに関する言葉が「欲しがりません勝つまでは」とかと同じ様に使われていたとは…。