南坊録の研究3 利休の言葉 藪内紹智宛伝書

餘香録のとこでも取り上げた藪内紹智宛の伝書。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20110527

利休が藪内紹智に宛てた傳書は二種類ある。
その一つは現在妙法院に遺つてゐるもので、他は東京の加藤正治氏蔵のものである。
この藪内紹智は、現在も茶道の家元としてある藪内家の祖先である。
このうち、妙法院蔵のものは、天正八年十二月の日附で點茶の次第を書いたものであるが、完本でなく、斷簡である。
加藤氏のものは、天正九年九月の日附で「臺子習の事」が述べられてゐる。

しかしなんですね。台子はともかく、柄杓の上げ下ろしまで利休から教わったのでは、藪内紹智は本当に武野紹鴎門下だったのかも疑問になりますね…。
あと紹鴎の茶を伝える古儀茶道である、という看板にも偽りを感じます。


それから台子の伝授の系譜は紹鴎→玄哉→利休→紹智→千家の誰か…みたいになるのかな?

(前から分かってたんだけど)この時代、やっぱり台子の茶は後回しでいいもの、だったんですな。

利休が辻玄哉に台子を習った伝承の中にも、「秀吉に言われたから習いに行った」というのもあるわけで、想像以上に台子が廃れていた時代なんだなという印象。

その門跡であらせられた眞仁法親王がこの道を好ませられたからで、同院蔵の利休傳書には、親王の御自筆になる箱書がある。

まぁ天台宗の寺にある疑問は解消できたからいいか。