益田鈍翁 風流記事2 大寄せ

インタビューより。

鈴木 明治十九年十月一日に山谷、八百善の向島の別業(別荘)へ
   呼ばれていますが。
柴田 これは、大寄せです。当日は野村儀兵衛氏の当番であった
   ようですね。

うーん。大寄せってのいうのは、明治28年鈍翁の大師会を嚆矢とするもので、それ以前は無かった、みたいなイメージだったんだけど。

でも、考えてみると、明治初期から茶道の大衆化ははじまっているのだし、本当の一般大衆を相手にしない、有力者特定多数による大寄せってのなら江戸時代後期からあってもいいんだもんなぁ。

ただ、鈍翁は大寄せの呼ぶ側と言うイメージが強くて、どうも呼ばれる側ってのはイメージ沸かない。


逆に言うと、本格的にお茶をはじめた頃の修行期?の鈍翁は、積極的に大寄せにも行っていた、と思えば結構ほほえましいものがあるかもね。