益田鈍翁 風流記事5 重ね茶碗

鈍翁が、茶人夫婦手作りの茶碗を返却した茶会について。

柴田 ことの起こりは鈍翁が瀬戸の加藤春鼎方を訪ねた時に、
   名古屋の財界の実力者であり大茶人の富田宗慶、宗晃夫妻
   の手造の瀬戸黒茶碗二碗を見せられたんだ。そこで鈍翁は
   「分捕りは武士の手柄」とばかりに強引に持ちかえった
   のさ。
   春鼎の方もこまったわけだが、箱をしつらえて先方に
   届けると鈍翁にいわれて渡したんです。
鈴木 それでお茶事の展開はどうなったのですか。
柴田 ご養子の富田孝造氏の手記によると、当日書院に富田金襴
   の帛紗を敷き、その上に例の茶碗が物々しく飾られ、
   しかも、父の碗の上に母の碗が重ねられていた。
   懐石がすんで鈍翁がニヤニヤしながら点前に出られ、
   恭しくまず母の碗を茶入と置き合わせて、父の碗を建水の
   ところに置かれたので、建水に使われてしまうのかと
   不安を感じたが、鈍阿焼の建水が持ち出されたので
   ホッとした。
   そうこうしているうちに母の碗に濃茶が点てられ、
   正客宗慶と三客の小生にて召し上がれたしと挨拶があり、
   さらに父の碗にて母上とお詰めの野崎古吟老とで
   召し上がれよと、とのお言葉があった。
   こういう扱いの先例もあるのかなと感服していたと
   いうんです。

この茶会、富田夫妻手造茶碗茶臼飾り茶会と呼ばれて話題になったらしい。

…茶臼、か。あんまりにもエロすぎですな。