益田鈍翁 風流記事6 多門店
益田鈍翁の弟、紅艶は多門店という骨董品店を開いた。
多門店は紅艶の死後も存続し、大師会の世話役をつとめていた。
その多門店がいつどうやって潰れたのか、私は知らなかった。
柴田 (中略)
この明くる年に鈍翁がお茶をなさったんだが、宋胡録の
柿の香合が使われて、それをおたきさんが私のものだと
いい出したんだ。
そうしたら鈍翁がね、そんな馬鹿なことがあるか、
こんなものは幾つも数のあるものだし、これはこの
あいだ丘崎から買ったものだ、といったんだ。
(中略)
すぐに電話で丘崎が呼ばれたんだ。呼ぶ時にはそんな
話はしないでしょう。丘崎は飛んで来たんだ。
そこで鈍翁は、これはこないだお前から買ったものだね、
と聞いたんだ。そうでございます。ところがこの人が
これは自分のものだといい出しているがどうなんだ、
といったら、その時はもう、返事ができない。
申しわけありませんといって次の間に下って、帰って
いってしまったんだ。それで東京に帰って店をたたんで
夜逃げしてしまい、それっきり行方がわからなくなって
しまったんだ。
縁故で家族同様に出入りが許された道具屋が、妾の道具をくすねて旦那に売っちゃ、もう誰も信じてくれない。
こんな潰れ方もあるのか…。かなり驚いた。