菓子そして中立
室町時代。
このころのお茶は、お菓子にコノワタ等を使っていてびっくりする。
しかし、それ以上にびっくりするのはお菓子が複数出ること。
松屋久政会記 弘治三年十二月にこうある。
十九日
一 慈尊院
(中略)
菓子 クリ・カキ・イリモチ・ミカン・コフ
(後略)
これは五種だが、菓子が9種とかの会記も残っている。
炭水化物の栗と煎り餅。果実の柿と蜜柑。それに加え昆布。
これ一緒に食べて、味を混ぜたあと、そのまま中立したのだろうか?
「蜜柑と昆布食べる→中立→後入りして濃茶」だとなんか不快そうな気がする。
栗食べる→お茶→柿食べる→お茶→昆布食べる→お茶…みたいなローテーションならまだ理解できるんだけど。
もしかすると、五種とか七種とか九種お菓子が出ても、全ては食べなかったのかもしれない。