道安と少庵

茶道古典全集の宗達自会記、天文十八年正月廿三日朝の会記の宮王三郎の注釈にこうある。

同三郎 名は鑑氏。右衛門の弟。千紹安の父といわれる(四座役者目録)

紹安は道安の事。

紹安も少庵も音はおんなじ「しょうあん」なので混同したのだろうか?


ただ、茶道古典全集の刊行された頃、宗旦の父を道安とする説などがあったわけだから、それ絡みで宮王三郎の子が道安という説があったのかもしれない。


…でも宗旦が道安の子である、という説は井口海仙の「千家は是が非でも利休の血を継いでいなくてはならない」という強迫観念の産物と言う気もするので、道安まで宮王三郎の子では逆効果だよな…。