わびの芸術5 わび茶の発生

侘び、という美意識に対し、大きな影響を与えて来た茶の湯

著者はその発生に対して言う。

禅僧が一衣一鉢の簡素な日常生活をしていることは何びとも知る通りであり、その禅に刺激されて発生した茶がありとすれば、初めに「わび茶」式の茶道が生まれ出るであろうと想像しても決して不自然ではないはずである。
(中略)
この書院の茶が簡素化してわび茶となったとは、とうてい考えられない。

これは同感。

書院の茶が草庵の茶を生んだ…というのは、クラシックがロックを生んだ、ぐらいの乱暴な意見だと思っている。
…だからあんまり台子に興味もてないんだよな。

利休をもって代表とする当時の茶人は大阪城に黄金の茶室を造ったと同時に山里の数寄屋をも創作して、正反対の茶を娯しむことにも努力した。
(中略)
このように上流階級には二つの対立した矛盾が厳然と存在していたことを見逃してはならない。

ここで「日本人は華美を好む」に回帰してくるのか〜。やられたぜ。

確かに桃山時代は超豪華と侘びが併存し、さらに「超豪華な侘び」までが存在した不思議な世界だもんな。