昔の茶会記を読んでいて思う。


いろんな唐物の道具が使われている。

しかし、釜の唐物が無いような…?


そういえば、現代に伝わる唐物の釜ってのも見たことない。あんだけ唐物崇拝だったのに…。


風炉や釜は消耗するから現代に伝わりにくい…というのは一理ありそうだが、そんな消耗品でも伝世させちゃうのが茶人。

鉄の釜は輸入しづらいと言う問題がある?でも濡れるとまずい墨跡だって請来しちゃうのが茶人。気に入ったものがあれば造らせてでも、ね。


なのに唐物釜が無いのは、当時の中国や朝鮮の釜で茶の湯に使えるものが無かったからではないだろうか?美意識の相違というか。

饕餮紋凶々しい青銅器!みたいなのでも困るし、逆につるんとした唐金みたいなので出来てても困る。

…当時の中国や朝鮮の釜について詳しくないのでなんともいえないんだけど。


釜は、日本で造られたざらっとした肌のものでないと茶人も落ち着かなかったんじゃないか?
日常馴染んだものでないと安心できなかったというか。そういう意味では釜は世俗と茶室をつなぐ窓なのかもね。