お茶8 掛物

だがこれら萬金に値するもの許りが決して茶掛けではないのである。
利休以來の巨匠の消息や、先輩師匠、乃至友人などの手蹟を用ゐて、しみ/゛\と人間愛を味ふことも亦茶道の眞髄なのである。

友人知己の消息をかるがると表装させて、それを掛けてお茶をする、というのは彼ら明治〜大正の茶人しかしていなかったことではなかろうか?

茶室にあって、掛物はお客さまが唯一頭を下げざるをえない存在である。

だから、お客さまに、しょうもないものに頭を下げさせてはいけない。この前提が掛物を縛っていると思う。


でも、茶道具屋に行って、どっかの和尚さんの書いた、ほぼ同じ内容の色紙がどばっと量産されて並んで売っているのを見ると、もしかすると自分もこういうものに頭を下げているのかも、と思うとうすら寒い気分になる。

そんなものを掛けるくらいなら、共通の友人の消息やなんかの方が座がなごんでよかんべとも思う。