茶人一休

伝承では、珠光は一休の所へ参禅し、眠かったので茶を授かった事になっている。

禅が眠かったから…というきっかけは少々どうか、と思うが、それはともかくとして、一休が茶を珠光に教えた、というのであれば、茶の湯の始祖は珠光ではなく、一休に遡れないだろうか?

とはいえ、一休が「我々が思うような」茶をやった、という記録はないと思う。

酒と女に関し刻銘な記録があるのに対し、茶の記録がないという事は、多分茶はやっていなかったんだろう、としか思えない。


また、珠光が一休の弟子であった、という証拠もない。


しかし、このエピソードには、暗黙のうちに茶人の始祖を一休に遡らそうという意図があるように思えてならない。

珠光を呼んで茶を教わっただけの足利義政が、茶の湯の創始扱いされるのであれば、その先生のさらに先生は一休という事になるじゃぁないか。

しかもその一休は天皇の御落胤茶の湯の権威付けには十分な価値があるように思える。


その辺が珠光の師が一休に仮託された理由ではなかろうか?