泥中庵今昔陶話7 琉球旅の話

蔵六は沖縄へも行っている。

そこで蔵六が発見したのは、南蛮縄簾などの陶片。

次に又、那覇は南蠻の字ちがひかも知れぬ。
石獅子(湧田)の地を掘ると南蠻燒の破片が出土する。
かの縄簾はあまり古くはない。

そして南蛮物の産地を沖縄と推定する。

しかし。

壷屋町は蛇ヶ谷の三倍程の面積よりも廣い村である。
此の石垣は厚いから石垣の中に古陶器の破片が打込んである、之を明治廿八年頃から日本人が來て、此の陶家の高塀を崩しに來るから、塀を壊すに規則を定めた。
(中略)
それでも矢張り大阪骨董商がきて高塀を崩して、塀にある南蠻を取り出して買取つて歸る人が至極多いから壷家の陶家も大いに困つたと云ふが、今は悉く南蠻はなくなつたと云ふ。

めぼしい南蛮焼の破片は大阪商人が買って帰って、島にはもう無いという。


蔵六の旅行記には、金城次郎は出てこない。

蔵六の旅行直後に、柳宗悦が沖縄を訪れて、金城次郎を見出した。

もしかすると、壷屋のやちむんは魚の絵の民芸寄りのものでなく、茶道具の南蛮物が主流になる、なんて歴史も有り得たかもしれない。